その翌日。文化祭準備期間も折り返しに差し掛かった頃合い。 眠い目をこすりながら、白斗は自分の教室に潜りこんだ。 そして辺りを見回して、あの情報通ぶっているクラスメイトの姿を探す。 昨日の伊吹の破壊跡が、学校中で大騒ぎになっているのだろうと。 だが。 「あん? 何言ってんだお前」 別クラスの友人と話していたらしき相手は、こちらを振り返るなり面倒そうに頭をかきながら欠伸をした。 「んなわけないだろって。ほら、見ろよ」 山寺が親指で指した先にたたずむ部室棟は、損壊の跡など一切見当たらず、普段通りにただそこにあった。 「寝ぼけてるんじゃないのか? ま、そんな事より作業の続きしようぜ。あっちのクラスは何とか喫茶ってモンをやるらしいし、俺たちも負けてられ・・・」 彼の言葉が終わらない内に背を向け、別のクラスへ飛び込んだ。 「・・・確かに、何もなかったように見える・・・けど」 悠を伴って部室棟に向かった先で白斗が見たものは、やはり普段と何も変わらない部室棟の内装だった。 伊吹が崩落させた天井も、崩した壁も、割った教室の窓ガラスも、その破片さえ見つからないほどに全てが元通りだった。 「幻覚・・・? でも確かにあの時・・・」 彼女はどこか困惑したようにつぶやきながら、辺りを見回した。 ゆっくりと歩を進めていた白斗はふと足を止め、近くの窓ガラスへと手をつく。 記憶が正しければ、そこは昨晩自身が木刀を叩きつけた場所だった。 それから、ずっと手に持ったままだったカバンに手を入れ、その木刀を取り出す。 定期的に新調している木刀の刃部分には、ガラスの欠片によるものだと思われる鋭利な切り傷がいくつも付いていた。 「・・・いや、幻覚なんかじゃない」 相手の能力は、破壊に関係したもの。 それが何なのかは分からないが、一度壊したものを元通りにする類とは別である事だけは確かだった。 それ以外に伊吹が物を修復するクオリアを持っていたのならば話は別だが、それならばわざわざこちらにクオリアを使わせる必要性はないはずだろう。 「おそらく・・・」 だから白斗はその考えをまとめ、結論を吐き出した。 「伊吹の仲間が、他にいる」 その結論を眼前の彼女に、そして電話で紫苑にも伝える。 『・・・だろうな。分かった。それを念頭に置いて監視を続ける。他の二人にも伝えておけ』 それだけ言うなり電話は切れた。 「・・・」 小さく息を吐き出し、ふと窓から校庭を眺める。 当然ながら誰もいない、見慣れた朝の光景―― ふと。 その校庭の奥、フェンスを越えた学校敷地外の小道に。 頭まで目深にフードを被った、どこか小柄な人影が見えた。 人影はフェンスに手をかけ、校内をじっと見つめていた。 「悠、あれ・・・」 隣の彼女に声をかけ、再度その地点に目を向けるが。 「・・・別に、何も見えないけど」 数秒も経たない内に、もうその姿はどこにも見当たらなかった。 今日の葵はやる気に満ち溢れていた。 昨日は段ボールを大量に手に入れ、文化祭に君臨する絶対皇帝への道が一気に近づいた。 その上職場の上司から言い渡された、宝石だか石だかを探すという仕事もあった。それを達成すれば特別ボーナスが支給されるのだ。 葵は、二兎を追いかけて十兎を手に入れて高笑いしたかった。 だから―― 「有能だから引っ張りだこっていうのはツラいわよね。でも、探し物のお願いだなんて、あたしにピッタリじゃない」 自分は探し物が得意であるという特に根拠のない自信に満ち溢れた葵は、そのまま近くの店先に顔を突っ込んだ。 「まずは段ボールを山のようにかき集めて、それからゆっくり宝石を探そうっと」 『・・・』 そしてそれを、背後からどこか不安げな顔で見守る幽霊の姿。 ――それからしばらく後。 「ふー、大量大量! これだけあれば文化祭の頂点は約束されたも同然よね」 昨日何とかという不良生徒が置いていった自転車にもらった段ボールを括り付け、鼻息荒く来た道を戻る。 『・・・探し物の方は知らんが、お前の交渉能力は凄いと思うぞ、私は』 商店街の店主たちへの話の中では、勝手に光輝が血を吐いて倒れた事にされていた。 そして病室で段ボールが欲しい、段ボールがあればあと数日生きられる、と弱音を吐く彼の手を握りしめた葵が、そのまま飛び出して今に至る・・・という壮大な感動ストーリーがでっちあげられた。 号泣する店主たちから目的のものを巻き上げた葵を見下ろし、幽霊は大きくため息をついた。 そのようにある事無い事――主に無い事――を並べ立てて各店舗で段ボールを回収した葵は、意気揚々と学校へと凱旋―― 「むがっ」 ふと、大通りの角を曲がった辺りで物陰から伸びてきた手が、葵の口を塞いだ。 同時に自転車が大きな音を立ててその場に転がったが、すぐに雑踏の音にかき消された。 『葵ッ!?』 数秒遅れて幽霊が振り向くが、既に葵の身体は路地の奥に引きずり込まれた後だった。 「よっし、いい感じに進んできたな!」 自クラスにいた光輝は、数個のマネキンにセットされた衣装群を眺め、満足げにうなずいた。 明後日から始まる文化祭では、あらかじめくじ引きで決まった生徒たちがこの衣装を着て、訪問者たちを『歓迎』する事になるのだった。 その役目は自身と―― 「あー、いーよなー。オレも着たかったのによー」 どこか不満げにコーラシガレットをバリンと噛み砕いた女子生徒が、そのままの勢いで光輝を小突いた。 「くっそ、津堂がアレ着るから、それを眺め回して写真撮って額縁に飾って毎日手を合わせるだけで我慢するしかねーよなー・・・。はぁ」 残念そうにため息をついた時雨は、ふと思い出したようにこちらを見つめた。 「それにしてもお前さん、体調大丈夫かよ? なんかくしゃみの連発が、外まで聞こえてたぜ?」 「あ、ああ。平気平気。きっと誰かが俺のウワサでもしてたんだろ」 同時にちょっとした悪寒も感じたが、気のせいだと思い込む事にした。文化祭直前だというのに、倒れてなどいられない。 「ところで、悠見かけなかったかよ?」 「ん、ああ。さっき廊下ですれ違ったぜ。なんか廊下を見回してたから、探し物かと思ってオレも手伝うって言ったんだけどよー、いつも通り素っ気ねーんだよな」 「探し物、ねぇ・・・」 その言葉には十分すぎるほどに心当たりがあった。 上司から言い渡された、何とかという宝石を探せという話。 真面目な彼女の事だ、出し物準備の合間を縫っては校内で探し物をしているのだろう。おそらくは、文化祭当日でさえも。 「あんま気にしててもしょうがないし、それよりも文化祭楽しんだ方がいいと思うんだけどなぁ・・」 「あん? お前さん何か言った?」 「あー、いや。こっちの話」 目の前のクラスメイトに片手を振ってそう返し、光輝は自身へ割り当てられる予定の衣装を着けたマネキンへと手を伸ばした。 「あー、もう、何なのよアイツら!」 葵は軽く痛む頭を押さえながら、路地裏を疾走していた。 そしてそれに追従する形で、彼女の隣で浮いている幽霊。 『・・・確かに、しつこいと言えばしつこいな』 2人の背後からは、こちらを追いかけてくる何人もの気配。 要するに、例の不良生徒の集団が迫ってきていた。 先ほど路地裏に葵が引きずり込まれ、とっさにクレアが代わろうとした瞬間。 自身の身体を掴んでいた相手の顔に葵が頭突きを食らわせ、鼻血を出して吹っ飛んでいった仲間に集団が怯んだその隙を狙い、彼女は駆け出した。 『・・・』 クレアが見る限り、その姿は葵に自転車を奪われた例の何とかという名前の生徒だったような気もしたが、それよりも。 「全くもう、しつこい男は嫌われるっていうのは世界的な常識なんだから! だってあたしが嫌いなんですもの。というわけでどこか行きなさいよ!」 そんな言葉が届くはずもなく、お互いの距離がゆっくりと縮まり始めた。 そして、いたぞこっちだという声が聞こえ、ビル数軒分を隔てた辺りに集団の姿が見え始めた辺りで。 「落ち着いて。こっちだ」 適当な角を曲がったその時、真横から声が聞こえた。 見ると、背後の不良生徒の集団と同じ制服を着た、とある男子生徒が立っていた。 「あーもう、先回りしてたってわけね。いいじゃない、こうなったら・・・」 どこか中性的な顔立ちの彼は、そっと口元に指を当てた。 「・・・しっ、静かに。ここに隠れるんだ」 「・・・?」 「いいから早く。奴らに追いつかれる前に」 その途端視界が揺らいで、気づくと葵は自身の背を見つめていた。 そして見つめた背は、その奥の相手が案内するままに建物の影に置かれていたゴミ箱の後ろにしゃがみ込んだ。 『ちょ、ちょっと、クレア!』 「・・・こいつが私たちを罠に嵌めようとするより、大声で仲間を呼んだ方が手っ取り早いだろうしな。そしてもし罠なら、私がどうにかしてやるさ」 すると、その相手は不思議そうに『葵』を見つめた。 「ん、どうしたんだい?」 「いや、何でもない」 その途端、10人ほどの生徒たちが一気に背後を駆け抜けていった。 「・・・よし、もう大丈夫だ」 数十秒後、服に付いた汚れを払い立ち上がった彼は、よくよく見ると大きなカバンを抱えていた。 「・・・」 クレアから身体を返された葵が、どこか困ったように相手を見つめていると。 「行こうか。君の学校の近くまで案内するよ」 そう言って、手を差し伸べた。 「・・・何よアンタ、アイツらの仲間じゃないの?」 「一応はそういう事になるのかもしれないね。でも、寄ってたかって女の子に襲い掛かるのは好きじゃなくてね」 「・・・」 それでもどこか納得できずに、葵はその手を取らずに歩き出した。 「あたしは儚くてか弱くておしとやかで争いごとが嫌いなんだから、少しでも変な事したらボコボコにぶん殴るわよ」 彼は無言のままうっすらと笑んで、ゆっくりと葵の後ろを追い始めた。 結局その日は何も見つからず、ひとしきり校内の捜索を終えた悠は小さく息を吐いた。 校内のあらゆる場所を大体全て見回り、それでも宝石のようなものはどこかに見当たらなかった。 まだ探していない場所にあるのか、見落としたか、それともまだ石が「生まれて」いないのか。 そもそもまだ上司から石の大きさを聞いてはいなかったが、まさか校庭に無数に落ちている小石と同じサイズなのではあるまいか。 そんな事を思案しながら、部室棟内を歩き続けていた彼女は、ふとその校庭を見下ろす窓のそばで足を止めた。 ふと外の景色に、山のように段ボールを背負ってえっちらおっちらと校舎に近づいてくるよく見知った人影を見止めた。 「さ、この辺りならもう大丈夫かな」 裏道を抜け、その男子生徒と共にいつもの校舎の裏門にたどり着いた葵は、やはり納得できない色を浮かべて相手を見返した。 「・・・一応、ありがとうは言っておくわ。でも、なんであたしを助けたのよ? 目的は何? お金? 段ボール?」 「さぁ、なんでだろうね」 彼は手にした大きなカバンを抱え直し、そっと微笑んだ。 「そうだ。お礼の代わりに、1つだけ聞いてもいいかな?」 「・・・何よ」 「君、名前は?」 予想外と言えば予想外な返答に、一瞬詰まった葵は少しの間を置いて返答した。 「いい名前だね。・・・さてと、僕はそろそろこの辺で。君たちの文化祭、楽しみにしているよ」 手を振りつつにこやかに去っていく相手に、とっさに叫んだ。 「ちょ、ちょっと! アンタこそ、なんて言うのよ! あたしだけ名乗るなんて不公平じゃない!」 だが相手はそれには答えず、その姿は小さくなっていった。 「・・・何よあれ。新手のナンパ?」 『さぁ・・・』 頭上で同じように首を捻っている幽霊に、葵はため息をついた。 「もしアイツの目的が段ボールだったら、まあ1、2枚くらいなら安く譲ってあげても・・・って!」 そこである事を思い出し、頭を抱えた。 「あああああっ! せっかくの収穫、さっき全部落としちゃったじゃないのよ! こうなったらもう1度行くわよ、クレア!」 地団太を踏みながらクルリと反転したその瞬間、視界に話題にしていたばかりの段ボールが飛び込んできた。 とある少年は、大量の段ボールを抱えてあと少しの学校までの道のりを歩いていた。 どこかに資材は落ちていないものかと、ダメ元で商店街をうろつく事数時間。 諦めて帰ろうと思った矢先、曲がり角に倒れている自転車と、その周囲に散乱する目的のものを見つけた。 しばらく待っても引き取り手が一向に現れる機会は無かったので、見知らぬ持ち主に感謝しながら段ボールを回収し、こうして運んできたのだった。 「これだけあれば・・・」 クラスの担当者に納品すれば十分な仕事をしただろうし、後の文化祭準備期間は寝て過ごせると思った。 と。 「あー!」 聞き覚えのある声と同時、手にした段ボールで塞がった視界が突如晴れ、それから身体が一瞬浮く感覚。 それが、叫んだ葵にゴリラみたいな力でブツをふんだくられ、勢いで前につんのめった事に気づいたのは、地面に手を突いた時だった。 「これよこれ! よく回収してきたじゃない! この農協のジャガイモの印刷も見覚えあるし! よく帰ってきたわねあたしの可愛い段ボールたち!」 その背後では、どこか困ったかのような表情でクレアがこちらへと手を差し出していたが、どうせ触れられない事に気づいたのかすぐに引っ込めてため息をついた。 起き上がり手に付いた土埃を払っていると、視界の中では上機嫌で段ボールを抱えた葵の姿が学校敷地内へと消えていく。 まあいいか、どうせ行きつく先は同じ・・・とぼんやり考えていた彼は、夕暮れ色に染まり始めていた空を見上げ、それからゆっくりと歩き出した。 と。 裏門の角の死角に、ふと白い色が一瞬広がったのが見えた。 何だろうとそっと回り込むと、そこにいたのは白衣を着たあの瓜宮という教師と、もう一人。 「では、これを渡しておく。くれぐれも、他の者には内密にしたまえ」 「・・・」 無言で何かを受け取って懐にしまい込んだのは、朝も校庭の脇で見かけた、フードを被った小柄な人影だった。 そしてその人物は辺りを伺いながらも、小走りに学校とは反対方向へと駆けていってしまった。 「・・・?」 何の話だろうと思いつつも大して深くは考えずに、白斗は姿の見えなくなった葵の後を追いかけて校舎へと戻る事にした。 「・・・」 そしてその一連の光景を、校舎の屋上から腕を組んだまま見つめる人影が一つ。 「・・・瓜宮、か」 そう小さくつぶやいた紫苑の視線は、既に踵(きびす)を返し始めた女教師、次いでフードの人物が消えていった方向へと注がれていた。